王の夢が息づく水原華城 ユネスコ世界遺産の観光名所=韓国
【水原聯合ニュース】ソウル近郊の京畿道水原市は、朝鮮王朝第22代王・正祖の夢が息づく都市だ。
父の思悼世子を失った正祖は、父を悼んで墓から近い水原に巨大な城を築いた。
首都・漢城の南側の基地としての役割だけでなく、政治闘争が激しかった当時の状況を革新するための目的もあったとされている。
仁義に基づく王道政治の実現を夢見て、正祖が私財を投じて建設した巨大な都市、水原。
200年が過ぎた現在、正祖の夢が込められたこの城郭都市は国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産に登録され、多くの観光客が訪れる場所になった。
◇「城郭都市」水原
四方を城郭に囲まれた歴史都市の水原は、景福宮や光化門などさまざまな古宮があっても巨大な城郭は見えないソウルとは違い、城郭が市民の住む家を取り囲んでいる。
その姿は、まるでタイムマシーンに乗って昔に戻ったような感覚を与えてくれる。
建築物の中で最も代表的なものは「訪花隨柳亭」だ。「訪花隨柳」とは花を訪れ、柳に沿って泳ぐという意味だ。
夜に訪れると、華虹門の下に流れる水原川に映し出される「光のイルカ」を見ることができる。
訪花隨柳亭の目の前には美しく造成された人工池があり、月が出る夜に水辺を歩けば風情が感じられる。
◇華城に隠された新技術
周囲が5.4キロに達する水原華城の主な建築物は、約40を数える。
華城は1794年1月に着工し1796年9月に完工したが、2年余りの短い期間に巨大な城郭を建築できたのは優秀な築造技術のおかげだった。これを指揮したのが実学者の丁若鏞(チョン・ヤギョン)だ。
丁若鏞は城壁を建てた経験はなかったが、滑車の原理を利用して重いものを簡単に持ち上げることができる「挙重機」という独特な装備を設計した。
華城の築城当時の制度・儀式など全てを記録した書「華城城役儀軌」によると、丁若鏞は正祖が中国から持ち帰った「機器図説」という本を参考にして挙重機を作ったという。
◇父の墓参りへ
正祖は25年間の在位中、水原華城を13回訪問した。
1795年には夫の思悼世子の墓参りをしたことのなかった母、恵慶宮洪氏を連れて8日間行幸を行った。この行幸は、約6000人が参加するとてつもない規模だった。
正祖の行幸はソウルの昌徳宮を出発し、水原華城を経て思悼世子が眠る水原隆陵に到着した。
◇華城の楽しみ方
最もお勧めなのは歩いて回る方法だ。足は少し痛くなるが、巨大な城壁に沿って歩きたい。歩くことでどれほどの大きさか、華城がどのように人々の暮らしに溶け込んでいるかを知ることができる。
足が痛くなったら、クラシックな外観の観光車両「華城御車」に乗ろう。
冬に備えて窓に厚いビニールが張られており、寒さもある程度防いでくれる。
華城の見どころや伝統市場などを回ることができる。
◇水原行宮
王が宮廷を出て行幸する際、臨時に滞在する場所を行宮という。
行宮の中で最も規模が大きく、美しい場所とされる華城行宮は、華城の築城に合わせて八達山の東の裾野に建立された。
惜しくも日本による植民地時代に華城行宮は撤去されたが、損なわれずに現在まで残っている建築物の中の一つが洛南軒だ。正祖はここで恵慶宮洪氏の還暦を記念して宴を開いた。
見逃せないのが正祖大王の御真(肖像画)をまつった華寧殿だ。閉門時間は午後6時なので、その前に見ておくことを勧めたい。
もう一つ注目すべき点は、行宮の内部に木がほとんどないということだ。これは刺客による暗殺を避けるためだとの説が伝えられている。
◇華城付近のグルメ
華城の近くには有名なトンダク(フライドチキン)通りがある。
大きな釜に油を注いで揚げるのが水原トンダク通りの伝統的な料理法だ。この通りは1980年代初めにできたというが、今も多くの店が当時から営業を続けている。
水原のグルメといえば最も有名なのはカルビだが、懐が寂しいなら城郭の南側、東南角楼の前にある池洞市場に立ち寄ってみよう。東南角楼は華城の四つの角楼の中で最も見晴らしが良い場所だ。
ここのお勧めはスンデ(腸詰め)炒め。注文は2人前以上から可能で、鉄板にエゴマの粉をたっぷりと乗せて甘辛く炒めたスンデは、マッコリとの相性も抜群だ。締めのチャーハンも楽しめる。
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